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宇都宮パルコ

宇都宮パルコが閉店した。

閉店することははもちろん知っていたのだけれど、TVの映像でPARCOの電飾が消えるのを見た時、自分の中で何か重い感情が芽生えた。

20代の半ば、毎週土曜日の夕方は鹿沼へ通っていた。その時間調整の午後の間、宇都宮で時間を潰すのが常だった。だいたいパルコに寄って、タワレコや無印良品を見た後に当時某ビルの上階に入っていたカフェのテラス席でお茶を飲むのが通常の土曜日の過ごし方だった。こんな週末生活を7年ほど続けたのだからパルコとは結構縁深かったと思う。

ちょうど大学を卒業して「これからどうすっかな」という時期で、このまま自分の世界はどんどんシュリンクしていってつまらないおっさんになるんだろうなあということに対する無力感が強かった。まあ、その現実を直視できない程度には若く、自意識過剰だったのだろう。今はよっしゃ、どんときやがれ!という感じだけど(笑)。

あの頃、パルコもまた血気盛んだった。

間違いなく宇都宮のユースカルチャーの発信地の一つだったと思う。多くの飲食店、オリオン通りやユニオン通りの個性的な店からもほど近かったパルコは、観光で来た人にとっても格好のランドマークだったことだろう。

でも、時代は変わる。

入っているショップのラインナップも私が20代前半だった頃から大きく様変わりをした。見目麗しい若者だっていつかは中年になる。体型も変わるだろうし、頭皮だって薄くなるだろう。求められる役割だって変わる。それは中間管理職が若手と会社の間で板挟みになりながら自分の立ち位置のバランスを取るような危うさだ。

でも、それでも。私自身の生活環境も大きく変わったけれど、その変化に合わせてパルコとはそれなりに付き合っていた。試作品を作る時に必要な部材はユザワヤ、専門書は紀伊国屋、キャンプ用品を買うなら好日山荘へといった具合に。毎日会っていた学生時代の友人と今では時々会ってお互いの子供の話をするように、緩やかではあったけれど関係は続いていた。

だからパルコが閉店すると聞いた時はショックだった。鳥人間コンテストだって水面ギリギリになってからが長い。悠々と再浮上とは行かずともずっとフライトは続くと思っていた。そう思い込んでいた。

人間は見たいものだけを見るというのは本当の話なんだな。

4月半ば、閉館時間間際に県庁の展望テラスから宇都宮の夜景を眺めた。ここにパルコがない光景はもうすぐそこに迫っていた。でも、その想像は非現実的に思われた。あの緑の電飾のない街はさぞかし寂しいだろうな。そんなことを無邪気にはしゃぐ高校生カップルを見ながら思った。

ありがとうパルコ。おつかれさんでした。

 

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