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Neighbors+おっちゃん

ここ1週間で何人かの人に「体調が悪そうだけど大丈夫?」と心配された。

え、そう?そんな風に見えるんだ。意外。

まったく体調が悪い自覚もないし、ムスッとしていたわけでもないのだけれども。でも、立て続けに複数の人にそう見えたという事は自覚していない何か違和感を周囲の人が感じたということなのだろう。マスクをしているのによく分かるなあと感心してしまう。私が死んだ魚のような目をしていたからか?

でも、私そう言われて嬉しかったです。

周りの人が普段とは違う自分を気にかけて声をかけてくれたわけで、そういう風に思いやってくれる人が傍にいてくれるのはお金で買えない幸せな事だと思います。世間には人から慮られることなく孤独で辛い日々を送っている人がたくさんいるわけで、自分にはそういう人がいてくれるというだけでも恵まれていると思う。ありがたいです。

何となく、おっちゃんの事を思い出した。

昔、学生の頃に繁華街で遊んでいた時。夜になって駐車場を施錠されてしまった事があった。八王子の駅前の駐車場で、柏から来ていたOの車が時間外で乗りだせなくなってしまった。明日も仕事があるのにどうしようとOはパニックになっていた。我々がなだめていると、酔っぱらったおっちゃんが通りかかった。

「お前らどうしたんだ?」「鍵をかけられてしまって…」「あ、ホントだ。これは出られねえな」そんなやり取りをしばらくした後で、おっちゃんが唐突にこう言い放った。

「ラーメン食うか?」

理解できなかった。多分、おっちゃんも自分が何を言っているのか分からなかっただろう(酔ってたし)。

その後、我々はおっちゃんも加えて5人でラーメンを食べた。食事に誘ってくれた割におっちゃんはほとんど喋らなかった。まったく接点のない即席の組み合わせなんだから会話が弾まないのも当たり前で、何か良く分からないままお礼を言って有耶無耶に別れた。

おっちゃんが何をしたかったのか未だに良く分からない(笑)でも、見ず知らずのおっちゃんが困った若者にラーメンを食べさせてくれたこと。このおっちゃんの不器用で意味不明で、でも、あったかい何かの手触りは今でもリアルに自分の中に残っている。そうして時々おっちゃんのしてくれた事を思い出したりする。思い出は薄れるどころか、そのありがたさが歳月を経るにつれてしくしくと痛む古傷のようにじんわりと心に沁み込んでくる。

そんな人の施してくれた善意の記憶が自分が暗闇に迷い込みそうになった時、灯火のように行く先を照らしてくれる。私なんか精神的にすごく弱いから、人生の折々でそういう人の善意がなければとっくに闇に迷い込んでいた。

そんなわけで周囲の人にありがとうです。あと、おっちゃんにも。

あ、でもホントに体調が悪いわけじゃないんだけどなあ…。何なんすかね?口内炎だからか?

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