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そこはバントで。

「1万時間の法則」という言葉がある。聞いたことのある方も多いだろう。

ものすごくかいつまんで言うと、1万時間何か一つのことをやり込めば他者と差を生み出す能力を得ることができますよ、というもので。ちょっとGoogleさんで調べれば色々な人の考察がいっぱい出てくるので興味のある方はささっと見てみてください。私も上っ面しか知らないからどんな間違ったことを言ってるかもしれない。

厳密にいえば「1万時間をどの部分に選択集中して計画的訓練を積んだか」「素質や適性が捨象されているのでは?」あれこれ綻びはあるのだけれども、この考え方は私は一理あると思う。学術的な正しさ云々は別にしてですよ。

で、勤続10年20年のこの道一筋の生産の現場の人は本人がカウントしていないだけで1万時間をとっくに超えていることなんてざらにあるわけじゃないですか。そういう無名の達人って世の中にゴロゴロいると思うんですよね。

ちなみに、そういう達人の「大丈夫じゃない?」という判断にはそれを言った人の傾向を加味しなくてはならない(楽観的/悲観的/短絡的/思慮深い/そもそもこんな問題どうでもいい/そんなことより今晩何喰おう)のでどこか見落としているところがあるかもしれないと一旦私は疑ってかかるけれども、「これはまずいんじゃない?」というのは必ず当たっている。私はそういう判断には絶対に逆らわない。

なぜ人は何とか大学の何とか教授の言う話は真に受けるのに、そういう現場の人の話は素直に聞き入れないんだろう。その人たちはその分野の碩学なのに。

「そうは言っても予算が足りん」「納期的に無理」

どうしてもあきらめざるを得ない理由があるのならその人にも抱えている事情というものがあるのだから、そうは言ってもどうにもならん時も確かにあるわなと思うのですが。

そういうことですよ、Sさん。

結局、ものづくりというのは色んな人が駅伝形式でつながって品物が出来上がってくるわけです。ひとりだけエゴを押し通して他を犠牲にしてトータルの品質が下がってクライアント(なんて書くとかっこいいね)が喜ぶのかな。現実の色んな制約がある中でうまくそこをまとめるのがプロの仕事なんじゃないの?と思ったりするのです。

ひとつの仕事を一緒にしている以上、そこに関わる人は反目しあう関係ではなく協力し合う一つのチームであるべきで、誰が上とか下とかじゃない。分からないことを教えてもらったら「やった、教えてもらった。ありがとう」でいいじゃん。そうやって周囲の人をうまく使った方がそもそも省エネで自分もラクできるし、その空いた時間でさっさと家に帰るなり他の仕事をする方が建設的だと思いますぜ。

某デザイン事務所の某氏と印刷業者さんのやり取りの仲介に入って3日間不安で眠れなかった間にそんなことを思いました。

「私には関係ないところなので」で済ませてもいいところなのだけれども、その先で楽しみにしてくれている人の顔が浮かんでしまってついつい余計な手を出してしまった。

自分の表現を突き通すのはそれはそれですごいことだとは思うのですが、それならそもそも商業デザインを生業にするよりも趣味として孤高の表現を追求した方が幸せになれるんじゃないのかなあと思います。あ、嫌味とかじゃないですよ。すばらしいセンスをもっているのだからそれをもっと有効にいい方へ向けたら?というお話。

なんか今日はなんかエラそうなこと書いてますな。

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