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2021/05/08

これはいいものだと先入観で考えると、あばたもえくぼに見えてくる。これはどうせ悪いものだと決めつけて考えると、袈裟まで憎々しいに決まっている。

こんな書き出しをすると急に説教臭くなるが、まあいつもの与太話です。

とある取引先が年末にくれるカレンダーには毎年偉い人の偉い格言が堂々と揮毫されており、そのカレンダーをトイレの便座に座った時にちょうど目の前にくるように貼るのが我が家の恒例だった(*1)。普段はそんなありがたい話をトイレでしなくてもいいじゃないかと思いながらも、”人間の尊厳を守るためのギリギリの勝負”に打ち克って安堵したような瞬間にはそういった類の言葉がすっと胸に染み込んできたことを懐かしく思い出す。

忍耐。そう、人間にとって一番重要なのは忍耐なのです。

全然関係ない話だが(私の話はいつもそうだ)、二十代の頃にベトナムでエレベーターの中にひとり閉じ込められたことがある。下降中に電源が止まって突然真っ暗闇になった。時間にしてそれは10分ほどだったと後で知った。そして、その10分は無限に続くような10分だった。私は死ぬのかもしれない。えっ、こんなところで?嘘でしょ。助かるに決まっている。でも。そんな考えがぐるぐる頭の中を巡って、視界が歪んで立っていられないような感覚だった。生まれて初めて感じる類の恐ろしさだった。

前言撤回。やっぱり忍耐より恐怖の方が上です。

それ以来、いまだに一人ではエレベーターに乗るのが怖い。いったん「これはこういうものだ」という固定観念が出来上がってしまうと、中々その呪縛から逃れるのは難しい。

もし、これが▲▲▲(*自分の嫌いなものや苦手なものを入れて想像してみる)だったとしてそれでも私は自分の考え方を変えないか?一歩引いて思案すると、認識のバイアスにかなり支配されていることに改めて気が付く。孫引きになるけれども、昔読んだエッセイに見たものには見る人にとって都合のいい願望が投影されていて、それを事実として人は認識してしまう癖があるという類の箴言があって確かになあと膝を打った記憶がある。

自分が自分を騙すというやつで、私も若い頃には随分とこの詐欺にやられた(そして今後も騙されるに決まっている)。もっとも、その詐欺があってこそ人生の局面で人は決断を下せるのだろうけれども。

でも、何年も経ってこうしてニュートラルな気持ちで向き合っても、あの頃のワクワクと高揚感を変わらず与えてくれるもの。それが傑作ってことなんだろうなー、と30年ぶりに『死霊のはらわたⅡ』を観返して思ったのでした。

 

(*1)改めて父に「そういえばなんであんなところにカレンダーを貼っていたの?」と聞いてみたら「トイレで読むくらいでちょうどいい内容だから」という答えだった。

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