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にゃー

小学生の頃。入った部活動では2軍の選手が1軍のお世話をするのがしきたりだった。

グラウンド整備も練習用具の後片付けも2軍の受け持ちだった。飲み物にさえ優先順位がついていたのには驚いた。でも、教師も父兄も誰もそれが教育だと信じて疑わなかった。

“こんな扱いが許されるのなら学校の勉強ができる生徒に掃除や日直を免除する権利を言い出されてもこの人たちは文句を言えない”

子供心に強く思った。私は運動も学校の勉強もできなかったけれど。

中学校は荒れていた。創業以来継ぎ足し続けている秘伝のタレのように、上の世代のヤンキー魂を下の世代が引き継いでいく。年々荒れていった。彼らは帰属意識が強く他集団に好戦的な反面、怖い年長者には盲目的だった。動機づけさえしっかりしてやれば社会に出てから従順な駒になるだろう。

“学校や社会に反発するのにどうして自分たちで更に歪な社会を作ろうとするんだろう。全員横並びで好き勝手にやればいいのに”

恐ろしくて言えなかったけれど。

高校と大学は居心地が良かった。自主的な選択による人間関係が基本だっだから。就職活動では少々揉まれたが、なるようになれという不遜さが案外功を奏した。面接官も品行方正な学生を見ているとたまにはゲテモノが恋しくなるのかもしれない。

会社に入ると、先輩は乗っている車を異常に気にするような人たちばかりだった。私は基本的に車なんて走ればいいという考え方なので彼らから重用された。主に飲み会の珍味として。でも、本当のところ彼らは車ではなく格付けが好きなのだった。そこには満たされない社会からの評価に対して江戸の敵を長崎で討つような湿り気を強く感じた。

“持ち物で競って何になるんすか?”

これは繰り返し言った。下駄の高さで競っても本人の高さが変わらなければ喜劇だ。いまだに彼らはベテラン俳優として頑張っているのだろうか。

どうも私は縦社会への順応という要素が本質的に欠落している。上を崇めるのも苦手だが人から立てられるのも苦手だ。生来が組織に不向きなんでしょうな。確かにこんな奴は上でも下でも扱いにくいだろう。

前世は野良猫だったのかなあと最近庭に不法侵入してくる近所の猫を見て思ったんだにゃん。

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